読書感想文 朝井リョウ『正欲』

一読後の感想。朝井リョウ『正欲』

 何を述べて良いかすごく考えてしまう。

 何も言わない方がいい、自分は欲、性欲について何か話せるほど考えたことがあるだろうか。そもそも性に対する経験がそれほどある訳でもないと思ってしまう。ただここで性の経験の大小についてはあまり関係ないのかもしれない。特殊性癖と呼ばれる異性に抱く性欲以外の性欲。それについて知らなかった。小児性愛は時々聞いていたか、ロリコンという言葉を連発している人もいたと記憶している。

 読み進めているうちに、この本をブックカバーをかけずに読んでいることに、なぜかソワソワし始めた。ただ身の回りに『正欲』について読み終えたという人はいなかった。この本を普通に所持することに恐怖を覚えた。

 今までおおよそ名前や外見で性が推測され、苗字に「さん」「くん」とつけ分けられることで相手から性を認識されてきた。自分もそれに倣い、相手の性をなんとなく推測し、話しかけたり、しなかったりした。それ以降、推測された性の異性が彼らの性的嗜好に該当するという前提で話をされたり、することが多かった。ただ近年、そういう話をすること自体、危険が伴うこととされ始め、私自身、自分の話はできても、他人に意見を求めることや他人に意見を伺うことは減少した。

 ポッドキャストを通して、アセクシャルという言葉を知った。そのポッドキャストを聴いていると大変苦しくなり、聞くのをやめてしまった。何が苦しかったのだろうか。とにかく生きづらさのようなものを一方的に主張している様子なのだろうか。また聴いて確認してみたいと思う。その時に強く感じたのは、雑な表現で申し訳ないが「多様性という言葉は面倒臭い、簡単に使える言葉ではない」といことである。

 しかし、今回、私自身の想像を超えるまさしくこの本で語られる「多様性」の淵を感じた。ただ自分自身の性を考えるときに、単に異性が性的対象としているだけで過不足のない説明なのだろうか、他大多数の他人が抱く性欲と同じなのか?違うはずである、と感じた。何に性欲を昂らせるのか、よくわからない。

 最近感じる性欲というものは、ドラマやアニメや映画による外的要因によって形作られたものを、自らが自らにダウンロード&インストールして、軽い不具合を無視しながら、調節しながら性欲を運用しているだけではないのか、と思わされることがある。外部とのつながりを絶って育った場合(そんなことはないのであるが)、本能に任せて異性を求めたのであろうか、ということを考えてしまう。

 自分としては今後特に恋愛について、第三者と話すことがあれば、いや、あまり聞かない方がいいとは思うのだが、聞く必要がある場合は思い込みなどはせずに確認しながら聞く必要があると考えている。また、自分自身の性欲について向き合う時、何を感じるのだろうか、何に興奮するのかということを冷静に考えた方がいいのだろうか。考えるのが怖い気もしている。自認ではストレートだったが、案外そうではない可能性がある。向き合ってみて知ることは、自信を理解する分には大事なことである。また犯罪に対してどのように裁きがくだされているのか、前から違和感に思っていたことがこの小説によって言語化された気がする。当事者同士のやり取りを司法が裁くということには限界があるのではないだろうか。だとしても、何をどうすればいいのか。マジョリティを軸に整備されてきたものが今後どのように形を変えるのか、変えないのか。なんとも言及できない部分である。

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