たいの奴隷になるなと言われた

消えたい、死にたい、どっかに行ってしまいたい、書きたい、聞きたい、録りたい、食べたい、走りたい、話したい、喋りたい、つぶやきたい、歌いたい、作りたい、踊りたい、脱ぎたい、泳ぎたい、きれいにしたい、寝たい、飲みたい、抱きしめたい、手を握りたい、起きたい、寝たい、眠りたい、創りたい、買いたい、売りたい、貯めたい、増やしたい、仲良くしたい、気づきたい、鈍感になりたい、ラップしたい、捨てたい、壊したい、叫びたい、ぶっ壊したい、治したい、直したい、育てたい、ノリたい、くっつきたい、学びたい

 たいの奴隷というのはまぁこういうことなんですけど、こういうことは誰でも思うと思う。奴隷というのだからそれに身も心も振り回されている状態を言うのだろうか。「たいの奴隷になるな」。これを教えてくれたのは東井義雄さんという教育者である。高校生くらいのときに読んだ講演を綴った本である。

 そのとき例示されていたこともなかなかリアルで面白かった。教育者なだけあって、少女少年の身辺には考えが行き届いているようだった。

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 ただ、たいの奴隷というのはある意味エネルギッシュであるとも感じる。もう傾倒しまくるってことでしょ。頭がやめろって言っても、やめれないんでしょ。もうそれがしたくてしたくてたまらないんでしょ。そんなに打ち込めることってある?熱中できることってある?今の俺にはないんだよ。それがすごく悲しいんだよ。何がしたいか、もわからないんだよ。この先の人生、お金を稼いで、それでギリギリの飯をワンルームで食べて、少し幸せを感じて、ヨーグルトとコーヒーを食べて、も少し幸せを感じて、お風呂に使って、満足して、漫画を読んで、寝る。悪くないんだけど、悪くないんだけど、なにかが踊らない。心が踊らない。心が踊ってたのはいつ?水を克服して泳げたとき?ヒットが打てたとき?大学を目指してたとき?ギターをアンプに繋いだあと?ステージに立ったとき?クリーピーのラジオを聞いたとき?アルピーのラジオを聞いたとき?マリンスタジアムでのハイスタ?太陽が丘でのホルモン?孤独な自室での『世界から猫が消えたなら』?気づいたら深夜だった『容疑者xの献身』?恋人と手をつないだとき?

 傾倒するには十分すぎる経験はあったやろう。泣きたいよ。書きたいよ。言語化したいよ。たいの奴隷になりたいよ。心踊ることをしたいよ。できないよ。なんで。なんで?なんで。友だちと居酒屋に行くよ。それは何?おもしろい?帰りたい?どっちでもいいよ。食べたい?カレー食べたい?チキンラーメン食べたい?それともグミ?どれでもいいよ。やるよ。

 なんにもできなくなってきたなとしか思えない日々なんだよ。なにか不都合が生じると、その黒で心を塗りつぶしたくなる性格してるんよ。持たざるものを演出してるだけなんよ。いっそ落ち込みたい、落ちるところまで落ちたいとか思ってるだけなんよ。好きな人に声かけてもらいたいだけなんよ。そんなことは絶対ないことはわかってるんよ。自分で明るくしていくばっかりなんよ。昔も今も、自分で明るくして見せているだけなんよ。考え方をずらすことにはもう飽きたよ。そこから観たら黒でも、下から見れば、赤だって?そういうのはもう辛い気がしてるよ。まっ青とか真っ白を浴びたいよ。結局何もできないよ。どうしていいかわからないよ。

皿でも洗うよ

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