いつでも鬱になれるよ

社会人になってもう2ヶ月も過ぎたんだろうか。自分としては細々と、満帆な生活もしているように感じている。バイト以上に収入は得られるため、節約の精神は持ちつつも、食事にも気を使えている。食と睡眠が安定していれば、ほぼokかな?

 …いやそうでもないね。最近よく思うことは、人と話すことが心を整えているということ。心を整えるという表現はなんだろう。なんて説明すればいいだろうか。ギターの6弦をEの音に調律するような感じである。私の心はほーっておくと、ダルダルに緩んでフレットに当たってビビったり、張りすぎて切れそうになる。人と話すと調律される。この表現がしっくりくる。

 基本的に人と話すと調律できるんだけど、気の合わない人と話すと、弦が切られてしまう。6弦あっても5弦になるし、4弦にも減るし、自分の表現がどんどん狭まっていく。替えの弦なんてもちあわせてないよ。頭ごなし、知識で理論武装、感情という言葉や思いやりという言葉を自分の辞書に持たないような人と話す機会が得られた。不意に得られてしまった。途中から話は入ってこなかった。返事だけした。その人は自分の言いたいことだけ言うと、どこかに行った。こういう人を見るたびに、どうして同じ人間なのに仲良くできないんだろう、とBlackLivesMatterのときにひたすら抱いていた感情と同じような感情を抱く。それと同時になんとなく無表情で、無機質で、植物のようになる。論破できますよ?なんて顔してるやつに論理なんてねえよ。ただのワガママだよ。知識もその日にとってつけたようなまがいもんでしょ。知識をそういうふうに使う人をまま見る。意義のある知識の利用をしようよ。学ぶということは優しくなるということと似ているはずなんだよ。違う?なんで学ぶの?より幸せになりたいからじゃないの?

 こういう感情になっていると、少し離れたところで、あの人は病気やからな、正論で行っても通用しない、時間取られるだけ、こっちの損やで、というような声が聞こえる。安心するような、隔離して片付けちゃうような、グルーピングして、あっちのグループの人は頭がおかしいから、許してあげましょうね?と言われているような気持ちになった。

 限られた時間の中で、こんな事を考える時間が増えてしまうと、いつでも鬱になれると思った。実際に周囲の友人をみていて、それを感じてしまう友人がいてしまうのが怖い。あまり負の感情を書き出したり、記録するのは好きではないのだけど、Twitterとかはそういう発言はしないでおこうと決めてるし。ただこのブログを書こうとするときは、ただただ、指が動くままにタイピングしようと思っているから、これもありとしよう。書いて忘れようぜ作戦。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA